「陽だまり設計図」――“薄い黄色”という自己操縦
松本いちかさんは、自分の将来像を「薄い黄色」で思い描くと語る。陽だまりのようにぽかぽかした、余裕のある人間でありたいという宣言で、その色は単なる好き嫌いではなく、理想の心の姿勢を毎日思い出すためのリマインダーとして機能している。彼女は「先のことを考えすぎてせかせかしがち」と自己分析した上で、だからこそ薄い黄色を掲げるのだと説明する。色を“方位磁針”にするこの感覚は、抽象的に見えながら実務的で、日々の振る舞いを微調整するスイッチになっている。
仕事観もこの設計図に沿う。彼女は「仕事、楽しい!大好き!」という気持ちを意識的に保ちつつ、うまくいかなかった日は悪かった点を頭の中で分析→次の一手に落とし込む→そこで切り替えると具体的に語る。最後は「まぁいっか、なんとかなるっしょ!」と口に出して、思考の輪をいったん閉じる。その切り替え術はメンタルの上下を平準化するだけでなく、反省と再挑戦の回転数を上げるのに役立っている。応援の言葉を受け取るときにも、彼女は「いちかちゃんがいるから頑張れる」といった声を、自分の中の熱源として保存し、ふたたび次の現場に持っていく。“自分の努力が誰かの変化の引き金になる”という実感が、彼女のモチベーションを常温で燃やし続けている。
この“色の設計図”は表現の側にも輸入される。fempassの「Make me UP!」企画では、インタビューで語った色を実際のメイクに落とし、言葉で立てた自己イメージを顔というキャンバスで検証している。色を経由した“自己像の往復運動”が見られ、そこに職人的なセルフプロデュース感覚がのぞく。
そして極め付きは目標のスケール感だ。彼女は「120歳まで現役でいたい」と笑いを混ぜながら本気で言う。入れ歯を入れてもらったり、シャワー後に拭いてもらったり――極端な想像をユーモアに包んで語りつつ、“長く続ける=価値を積分する”という計算がその背後にある。現場が好きだという素朴な動機が、長期の職業倫理として定着しているのがわかる。
「休日のジブリ黙想とラップ沼」――感情の温度を自分で設計
日常のリフレッシュ法として、彼女はスタジオジブリ作品を通しで観る。とりわけ『風の谷のナウシカ』では、王蟲の描写の美しさに没入して“何も考えないでぼーっと”眺めるという。ここでの鑑賞は物語の解釈よりも、質感や自然物の描き方に身を委ねる瞑想に近い。映像の色や運動が、休日の頭をニュートラルに戻す。
そこから一気にテンポを上げるのがヒップホップだ。日本と韓国のラッパーが並ぶフェスをきっかけに、ralphやpH‑1を聴き込むようになったと明かす。さらにハロー!プロジェクトの系譜からスマイレージ『○○ がんばらなくてもええねんで!!』を“MVを見ながら踊る”ための曲として挙げる。ジブリで心を冷やし、ラップで躯を温め、アイドル・ポップで軽く跳ねる。この順番は、感情の温度を自分で設計する習慣の表れだ。
情報の伝え方も“温度設計”と地続きだ。自身のYouTube「50の質問」では、短い応答をテンポよく刻み、“速度”で人格の輪郭を伝える編集が効く。回答の切り返しが速く、照れの処理も軽い。動画のクレジットを見ると、編集者が外部のクリエイターとして名を連ね、個人のテンポ感×編集のテンポ感を一致させる制作の組み方がうかがえる。
YouTubeチャンネルの他企画をつらぬく軽妙さもこの延長線にある。占いやバラエティ寄りの即興的な企画でも、彼女は場の速度に合わせて自分の“見せ方”を調律している。“映像の尺に最適化された人格の出し方”が確立しているから、素早い切り返しで空気を崩さない。
「“INCOMPLETE”の現場主義」――四季を束ねて“時間”を展示する
2024年5月、恵比寿・弘重ギャラリーで開催された『PHOTO EXHIBITION ICHIKA MATSUMOTO “INCOMPLETE”』は、一年を通じて撮影した写真を四季の手触りで編む趣旨の展示だった。関係者の告知や本人周辺の投稿には「四季折々」「一年を通じて撮影」といった語が並び、会場と会期が明確に示されている。作品制作のコアメンバーでもあるフォトグラファー・Dioraの発信は、日程・場所・運営の“流れ”まで具体的で、企画を“流れる場”として運転する共同体の呼吸が見える。
来場者の観測記録からは、春夏秋冬で見せる表情の差異への言及が多い。モデルが一人の写真展でありながら、季節という外部軸を通して“時間”を展示する試みは、被写体の解像度を上げるだけでなく、観客の鑑賞テンポも調整する。四季=時間のスケールを、会場での滞在体験に置換している。
展示運営では、在廊時間や最終日のアナウンスが逐次共有され、鑑賞体験の“密度”が関わる人の手で細かく制御されていた。本人はインタビューで「5月の写真展のセレクトもすごく楽しかった」と振り返り、セレクト=編集まで楽しむ“現場主義×編集主義”の視点がはっきりしている。
当日のレポートには、特典会での会話の濃さや、会場でのふるまいの丁寧さが書き込まれている。退出時に来場者へ声をかけるといった小さな所作は記録に残りづらいが、満足度を底上げする無形資産だ。ファン同士・関係者同士の交流が自然に生まれ、“会う理由”が濃密に設計された場が回っていたことがわかる。
告知のハブとして機能したXやInstagram投稿からは、公式サイトURL(弘重ギャラリーの展示ページ)が一貫して共有されている。現在は動的な年別アーカイブでの検索が必要になるが、会場公式の過去展示一覧にも俯瞰的なログが残る。“公的な座標”にひもづけて告知する動線の設計も、彼女やチームの“現場主義”の一部だ。
展示の“内省的テーマ”は、彼女の長期制作物にも響く。写真集『TOXIC』は一年を追い続けた結晶として打ち出され、「区切って見せる」(四季の展示)と「連続体として束ねる」(年間ドキュメント)の両輪が、ここ数年のアウトプットを貫いている。
「スマホの中の“小さなアーカイブ”」――整いと素朴の配合
fempassの「スマホの中身を覗き見」企画では、友人と遊んだ写真からファン企画のスナップまで、過剰に整えすぎない断片が並ぶ。とりわけ印象的なのは、YouTubeの企画で直前告知の“ゲリラお花見イベント”を行ったときの記録で、40人ほどが自力で辿り着いてくれたというエピソードだ。行為の痕跡を軽やかに公開するこのスタイルは、フォロワーの想像力に委ねる余白を残し、タイムラインに“素の粒度”を混ぜる。
この連載のSNS連動では、fempass公式のポストが撮影オフショットを補助線として提供し、媒体―本人―ファンの三者の間で“見え方”を同期させる微調整が働いている。写真を“飾り立てる”よりも、“共犯関係の証拠”として配置するやり方が、小さな信頼を重ねていく。
Instagramの本体運用では、投稿数自体は多くないがエンゲージメントが安定しているのが特徴だ。プロフィールの動向やリールの更新からは、自己像の更新を過剰に急がず、イベントや企画の節に合わせて“まとめて見せる”手つきが読み取れる。“毎日細かく出す”のではなく“節目で気持ちよく出す”。このリズムが、本人の作業量とファンの期待値の釣り合いを取り、無理なく持続させている。
YouTubeコミュニティやサブチャンネルも補助線だ。メインチャンネル=企画の実験場、サブ=素の更新という役割分担が見え、動画の明暗や密度を使い分けることで、画面の向こう側に“生活の厚み”を残す。
「服と自分の“ちょうどよさ工学”」――からだに合わせて世界を調整する
ストリートスナップ企画では、柄物はあまり選ばず、体型にぴったりか、逆にオーバーサイズを選ぶというこだわりが語られている。TPOで服装を切り替えるという判断基準も明言され、服の選択=他者との関係性の設計という理解が通っている。服は自己表現であると同時に場の空気の装置で、彼女はそのスイッチを自分の体格から逆算して設計する。
その“ちょうどよさ工学”は、アパレルのコラボにも波及する。原宿の古着・セレクトとメディアの共同プロジェクトでは、ジャンルをまたいで着崩すスタイリングで、媒体の表現意図×ショップの文脈×本人の等身大をうまく交差させる姿が記録されている。“誰かと作る”を前提に、自分の輪郭を保ったまま相手の文法に寄り添う。この協調性は、現場で重宝される職能だ。
裏側の作業も可視化される。コラボのオフムービーでは、小さな段取りや微調整の空気感が映り、“完成品だけを見せない”というポリシーが透けて見える。完成と未完成のあいだに観客を招いて、共に仕上げていく時間を共有するのが、いまの彼女のやり方だ。
さらに、身体そのものにフィットするシンデレラバスト向け下着を30歳までにプロデュースしたいという目標は、“自分の困りごとを他者価値に翻訳する”宣言でもある。盛れることと着心地の両立、かわいい・シンプル・かっこいいの多様性まで同時に満たす構想は、彼女が“からだ―社会”の接点をていねいに設計している証拠だ。
セクシー女優としての魅力
彼女の魅力は、現場適応力・編集適応力・観客適応力という三つの“適応”がめぐり合う点にある。まず現場適応力。撮影や番組の尺に合わせて反応を最適化する訓練が行き届いており、短い質問を高速でいなす企画でも“キャラクターの温度”を保ったまま、リズムを崩さない。瞬発的に笑いをつくるのではなく、速度で信頼を積むタイプだ。
次に編集適応力。外部編集者が関わる動画でも、自身のテンポ感と編集のテンポ感を一致させる呼吸ができる。“切られ方”を知っている人の話し方をしており、撮って出しのライブ感と、編集後の見やすさのどちらにも最適化できる。だから、長回しでも短尺でも破綻しない。
第三に観客適応力。対面イベントを全国で細かく回す運用は彼女の真骨頂で、チケットフローや在廊時の立ち振る舞いまで含めた“会う理由”の設計がうまい。LivePocketに積み上がる地方開催のログや、イベント媒体の記事整理は、小さな接点を重ねて関係を太くする彼女のやり方の実証になっている。“全国で会える”を成果物の一部にする発想が、職業寿命の延伸にも寄与している。
表現の横展開も強い。写真展で“区切って見せ”、写真集で“束ねて見せる”。『TOXIC』に代表されるように、一年の連続性をドキュメント化しつつ、ギャラリーでは四季で時間を切って鑑賞の速度を調える。媒体が変わっても、“時間をどう見せるか”の関心が中核にあるから、作品体験に一貫した気持ちよさが生まれる。
メディア横断の露出も、過剰に煽らず、幅を保つ。たとえばTBS Podcastでは、ことば遊びや日常の関心事(陶芸の話題など)を軽やかに投げ、“番組の色”に合わせて熱量を調整する。テレビや誌面寄りの露出では、週プレのデジタル写真集といった“王道のグラビア枠”も踏み、メインストリームの文脈でも違和感なく見える姿に仕上げる。
SNS運用は“引力の管理”だ。Instagramでは頻度を絞りつつエンゲージメントを保ち、YouTubeはメインとサブで熱量を切り替える。見せすぎず、見せなさすぎずのバランス設計が、長く好きでいてもらう温度を保つ。
最後に、本人が語る将来のプロダクト志向――「シンデレラバスト向けの下着をつくる」は、クリエイターとしての“当事者性”の強度を物語る。自分の不便をみんなの便利に翻訳する姿勢は、セクシー女優という職能の枠を超え、生活に還元される価値を生み出す。可愛い/シンプル/かっこいいの選択肢を同時に用意する発想も、ユーザー中心の設計思想に近い。
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